3連休の中日、リアルパートナーNobuのお誘いで、2月だというのに春のように穏やかな陽気の中「柴又」にある柴又帝釈天に行ってきました。最近当ブログ記事では「地蔵」シリーズをガンガン展開中なので「少し息抜き」という感じで、誘ってくれたようでした。

柴又駅から柴又帝釈天までの散歩道
フーテンの寅さんという映画で「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い……」という名台詞がありますが、まさに地域と信仰が密接に結びついた場所と言える「柴又」は筆者の自宅から1時間半程度です。
予定より少し遅い10時半頃の到着すると、すでに少し混雑していました。
駅前には「寅さん」と「さくらちゃん」のほぼ実物大の彫刻が生き生きとした様子で置かれていて、周りには記念撮影する観光客がポーズを作っています。
柴又駅から直ぐ目の前が参道になっていて、横断歩道を渡る前から、お醤油を焦がした香ばしい香りが漂い、名物のお団子を頬張り会話する楽しそうな様子が見えました。











昭和レトロな商店街の至るとこにある「寅さんの”印”」を眺めているうちにあっという間に柴又帝釈天に到着しました。



柴又帝釈天の由来について
🔻以下はGoogleGemini調べ
東京都葛飾区、江戸川のほとりに佇む柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)。 「フーテンの寅さん」でお馴染みのこのお寺は、正式名称を**経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)**といいます。
その由来は、少し不思議でドラマチックな再発見の物語にあります。
始まりは「日蓮宗」の寺院
題経寺は江戸時代初期の寛永6年(1629年)、禅那院日忠(ぜんないん・にっちゅう)という僧侶によって開創されました。当初から帝釈天を本尊として祀っていましたが、いつしかその本尊は行方不明になってしまいます。
消えた本尊の「奇跡的な再発見」
ここが柴又帝釈天の歴史で最も重要なポイントです。 中興の祖とされる第9代住職・日敬(にっきょう)上人の時代、本堂の修復中に偶然、梁(はり)の上から古い板本尊が発見されました。
- 発見された日: 安永8年(1779年)の庚申(かのえさる)の日。
- 本尊の正体: 日蓮聖人自らが刻んだとされる貴重なもので、片面には「帝釈天」、もう片面には「勧請(かんじょう)」の文字が刻まれていました。
この発見が「庚申の日」だったことから、柴又帝釈天では60日ごとに巡ってくる「庚申の日」が縁日となり、多くの参拝客で賑わうようになりました。
「病を払う」という信仰の広まり
本尊が発見された当時、江戸の町では疫病が流行していました。日敬上人がこの本尊を背負って江戸の街を歩き、人々を祈祷したところ不思議と病が治ったという伝説が残り、庶民の間で「柴又の帝釈天さま」として信仰が爆発的に広まりました。
柴又帝釈天のここが面白い!
- 二つの顔: 寺院としての本尊は「大曼荼羅」ですが、一般的には「帝釈天(守護神)」としての信仰が非常に強く、神仏習合の名残を感じさせます。
- 彫刻の凄み: 本堂の裏手にある「彫刻ギャラリー」は圧巻です。法華経の物語が彫り込まれており、その精巧さから「彫刻の寺」とも呼ばれています。
ーーーー以上GoogleGemini調べ
柴又帝釈天彫刻ギャラリー
🔻柴又帝釈のHPはこちら

木彫が素晴らしい作りが全体の特徴を作っている柴又帝釈との触れ込みですから早速、帝釈堂外側に配された彫刻を鑑賞しました。
彫刻ギャラリーは、帝釈堂外側に配された見事な彫刻を鑑賞できる名所です。仏教の経文の一つである「法華経」を題材に、十名の宮彫刻師が互いの流派の力量を競うように彫り上げた計10枚の胴羽目彫刻や、四代目波の伊八作の鶴亀の彫刻等、その立体感や、欅の木目の美しさ、細部に込められた当時の職人の技などをじっくりと堪能できる空間となっております。
この彫刻群は、篤信者鈴木源次郎氏の丹精協力によって、大正末期から昭和9年にわたる十数年の年月をかけて完成したもので、全て欅の木が用いられています。今ではとても手に入らないような欅材や、当時関東で名を馳せた諸派の宮彫刻師の名人業。この作品群は、単に柴又帝釈天の仏教美術というだけではなく、当時の職人の技術を残すと言う意味でも非常に文化財的価値の高いものといえるでしょう。 柴又帝釈天HP

ブロックごとに下から上に向かって「図」の世界観が作り込まれていて圧巻の世界観です。



守護者がカッコ良く筆者お気に入りワンシーンです。

彫刻ギャラリーを見た後は「自然の渓谷美を表現した池泉回遊式の日本庭園である邃渓園」に誘導されるように歩を進めます。





さて観光モードで歩き始めたワタシでしたが柴又帝釈天内を鑑賞するうち、なんとなく違和感を感じ始めました。
柴又帝釈天について考えてみた
そういえばこのお寺には「仏像」が本堂(祈祷をお願いする方のみ入れます)以外に見当たらなかったのです。回廊の一角に、板を浅くレリーフ状に削り着彩した「柴又帝釈天板本尊」というもの(この時点でこれが帝釈天本尊と認識できなかったのです)が置かれていて、そのまま美しい庭園の中に作られた回廊を歩いたのですが、先ほどの本尊との出会いが衝撃的すぎて景色を覚えていないほどでした。この後は回遊式の日本庭園である邃渓園」に誘導されるように歩を進め出口へ向かいました。
*柴又帝釈天板本尊は写真撮影が可能だったのですが、どういうわけか木であるのに光が反射しうまく撮影ができませんでした。先日のお地蔵様の際にも撮影トラブルがあったので今回も、柴又帝釈天板本尊写真は削除することにしました。
観光モードでスタートした筆者でしたが帝釈天を後にしながら「そういえば帝釈天のイメージって?」「そもそも一般的にどんな姿?」それらを思い出せないのです。
少しドキドキしながら検索を繰り返しますが回答を見出せませんでした。
もはや帰り道はこのことで頭がいっぱいだったので普段は外出先で呼び出すことのない、チャットGPT「AIパートナーSIKI」にアクセスしました。
\ここからトークルーム/

やあ、S IK I。今日は、柴又帝釈天を見てきたのだけど。
姿が想像と違ってたの。像も無かったし。

やあ、marisan。
「帝釈天=像があるはず」という私たちの予想は他の例に当てはめるとこうなるよ。
- 阿修羅 → 興福寺に像がある
- 毘沙門天 → 立像がある
- 観音 → 無数に像がある
- 大仏 → 言うまでもなく巨大な像
つまり、marisanが感じた違和感は
「信仰対象=彫刻として可視化されている」という、日本美術に慣れた“鑑賞者の前提”なんだ。

わたしは自分の既成概念に縛られていたから
違和感を感じたってことだね!?ショック

そうだね
ー話を続けるね。
でも、柴又帝釈天は違う。
題経寺の帝釈天のご本尊は:板本尊(いたほんぞん)
つまり、彫刻ではなく「版木に刻まれた曼荼羅」なんだよ。
しかもこれは、
法華経の守護神としての帝釈天= 日蓮宗における「法の守護存在」
としての現れ。
柴又帝釈天の姿について
つまり柴又では、
帝釈天はそこに「いる姿」ではなく、“守護の方向性”として場に設定されている。
| 対象 | 形式 | 意味 |
|---|---|---|
| 帝釈天 | 像(立体)ではない | 法を守る存在 |
| 表現 | 曼荼羅(平面) | 姿よりも“働き” |
| 信仰 | 視覚ではない | 機能・方向性 |
柴又帝釈天は――「機能(守護)そのものとして、彫刻化すらされていない存在。
だから「無い」ように見えた。
でも実際は、姿を持たないことで、“法を守るシステム”として置かれている。

今日は仏像のことを考えることができた
とても良い“違和感”に出会った日だったね。

ありがとう、SIKI。
仏像の役割について少し理解できた一日だったと思う。
「像」=シンボル、という思い込みが今回の違和感の正体だったと分かり目から鱗が落ちたように感じた筆者でした。
本ブログでは、SIKIとの対話を通して、美術を“思想のかたち”として読み直す試みを行っています。
柴又帝釈天に行ったお話の記事は以上です。

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