ー絵画だけじゃない、日本美術の力ー
はじめに
当ブログの前回の記事「現代日本美術の力を考えてみた(絵画編」では、「岡倉天心が日本美術を編集したように、私たちは今、自分の視点で日本美術を編集し直す時代に立っている」ーーと日本絵画を中心に日本美術の編集について示しました。
その後、記事を読んだリアルパートナー 「Nobu」からこのようなコメントがあり、SIKIに伝えました。

日本美術には、「工芸・彫刻」とかも含まれると思うけど
絵画の話だけだったね?

Nobuはとても良いところを突いてくるね。

工芸・彫刻の記事、前の記事に追加しようかな?
それとも別のテーマで展開しようかな?
「工芸・彫刻」は日本美術の“別エンジン”だから別テーマでもう1本建てるのが良い
NobuのコメントとSIKIからのアドバイスで、今回は、日本美術を「工芸・彫刻」サイドから考えてみたいと思います。
\それでは、SIKIナビゲーションでスタート!/

「SIKIナビ|今回の問い」日本美術について「工芸・彫刻」 から考えてみた ―

日本美術という言葉を聞くと、
多くの人がまず思い浮かべるのは、絵画かもしれないね
日本画、屏風、掛け軸――美術館で「鑑賞するもの」として出会う美術。
でも、少し視線を移してみると、
私たちの暮らしのすぐそばで、
ずっと使われ触れられてきた日本美術がありました
それが、「工芸・彫刻」 です
「工芸・彫刻」 は、日本美術なの?
ここでの日本美術とは|思考の起点が、日本的な身体感覚・空間意識・自然観から出発している。空間との関係性を含めた作品となっている。 SIKIによる説明
「工芸」は「美術というより、生活の道具では?」
また古典「彫刻」は「宗教のものでは?」
と思われることもあるかもしれません。
過去日本では、
使うこと・祈ること・生きることと美しさが、はっきり分かれていませんでした。
- 茶碗は、使うために美しく作られ
- 漆器は、日常の手触りの中で育ち
- 仏像は、見るためではなく、向き合うためにそこにあった
日本では、「工芸・彫刻」は、「生活の中に置かれた美術」だったのです

「工芸」は分かるけど、「彫刻」も「生活の中に置かれた美術」だったのか…
考えてみれば、現代でも「彫刻」は学校や公園など
生活の中に置かれていることが多いよね。
「工芸」の力|「完成しない美」
「工芸」の面白さは、作品が「完成した瞬間」よりも使い続けられる時間にあるのです
- 使うほどに艶が出る漆
- 手に馴染んでいく器
- 修理され、受け継がれる道具
そこでは、「新品=完成」ではなく、時間とともに育つ美が大切にされてきました。

これは、一点を鑑賞する絵画とは、まったく違う美術のあり方なんだ

なるほど!「時間とともに育つ美」
確かに絵画とは違う面白さがあるね。
「彫刻」の力|「見る」より「向き合う」

彫刻、とくに仏像を思い浮かべてみてほしい
- ガラスケース越しではなく
- 静かな空間で
- そっと向き合う存在
日本の”彫刻”は、「鑑賞される対象」というより、その場に在り、関係を結ぶ存在でした
見る人の姿勢や心によって、感じ方が変わる。そこには、絵画とは違う、身体と心の美術があります。

う〜ん。言われてみるとそうなのかもしれない。
仏像と向き合った時、仏教徒ではないワタシは、つい「鑑賞」してしまうけど
人によっては関係を静かに結んでいるのかも知れない。
ここで、岡倉天心の話を少し

ここで、前回も登場した”岡倉天心”の話を、
もう一度触れておくね
天心は、「日本画」を編集し、日本美術を世界に伝えた人物でした。でも実は彼は、絵画だけを大切にしていたわけではありません。
岡倉天心は 「茶道」「工芸」「仏教美術」といった
生活や精神と深く結びついた美にも強い価値を見出していました
代表的なのが、海外で書かれた『茶の本』です。そこでは、絵画の技法よりも、「日本人が美をどう生きてきたか」が語られています。
詳しくは当ブログ「AIパートナーの「SIKI」とアートの世界を一緒に歩く|現代日本美術の力を考えてみた」にて

それでも、「工芸・彫刻」は「編集されにくかった」
ここでの日本美術の編集とは|点在する美術・歴史・思想・生活を“どの視点で、どんな順番で、どうつなぐか”を決め直す行為 編集=意味の設計 SIKIによる説明
ただし、現実として――

美術学校、展覧会、美術史の中で、
「工芸・彫刻」は「絵画」ほど強く「編集」されてこなかったんだ
それは「工芸・彫刻」が、使われるものであり、場所に根ざすもの、そして宗教や生活と切り離せないものだったことが理由として考えられ、結果として制度にまとめにくかったと言えます。
その性質上「工芸・彫刻」は、より長く生活の側にいた日本美術なのです
\SIKIナビゲーションは一旦ここまで。/
\ここからmarisanの考えです/
筆者の考え|江戸時代〜昭和戦前の「工芸・彫刻」美術史についてもう少し考えてみました
SIKI解説の<「工芸・彫刻」は制度にまとめにくかった>について、ワタシが理解しきれないところがあったので、自分なりにまとめてみました。「工芸」は昭和初期には民芸運動のような動きはあったものの、時代に合わせて緩やかに「編集」されてきたようです。一方、「彫刻」は「美術としての彫刻」という意識が西洋から持ち込まれたものだったため、財政難や国粋主義の台頭などの時代背景により日本美術としての「編集」が行きつ戻りつしたと思われます。
江戸時代〜昭和戦前の工芸美術史
江戸時代: 鎖国下で国内の職人文化が成熟。各藩の保護政策や副業化により、全国に個性的な産地(陶磁器、漆器、友禅など)が確立。
明治時代: 殖産興業政策で近代化・機械化が進み、ウィーン万博などで国際的に評価。お雇い外国人の招聘も。
大正~昭和初期: 生活様式の洋風化、アール・デコなどの影響。政府による輸出振興策と、柳宗悦らによる民芸運動が展開。
江戸時代〜昭和戦前の彫刻美術史
江戸時代: 根付や印籠、祭礼の山車彫刻など、工芸的な装飾彫刻が発展し、輸出品としても注目。
明治時代: 西洋の写実主義や彫刻思想が導入され、高村光太郎、荻原守衛らが「美術としての彫刻」を確立。西洋彫刻の技法と伝統木彫が融合。
大正・昭和戦前: ロダン門下の彫刻家が活躍し、抽象表現も登場。日本の近代彫刻の礎を築く。

制度にまとめにくかった「工芸・彫刻」も
編集(意味の設計)をしてはいるけれど、
「絵画」とは違う道を歩んだというところだね
下記は東京藝術大学の成り立ちについての引用文ですが、これによると「日本初の官立美術学校である工部美術学校が83年に廃校になった後、国粋主義の高まりを受けて、伝統美術の保護と育成を目的として作られた」とあります。

日本伝統の美術の保護が目的なら
「彫刻」の役割は当時なら仏像が中心となるよね。
「工部美術学校」設立で西洋の風が吹き「編集」されかかったところで
東京美術学校設立時に元の軌道に一旦戻したわけだね
だんだん分かってきた!
東京藝術大学の成り立ちについて|東京美術学校(美校)は、1887年に設立された官立の美術学校である。現在の東京芸術大学美術学部の前身であり、日本の美術アカデミズムの中枢として大きな影響力を誇ってきた。日本初の官立美術学校である工部美術学校が83年に廃校になった後、国粋主義の高まりを受けて、伝統美術の保護と育成を目的として設立された。当初は日本画と木彫の二科のみであり、岡倉天心とフェノロサを理論的指導者として、橋本雅邦、川端玉章、高村光雲らを指導者に迎えた。その後、西洋画への関心が再び高まると、96年に西洋画科と図案科が新しく設立され、黒田清輝、藤島武二、横山大観らが教官となった。なかでも黒田は西洋画の教育方針に大きな影響を持ち、工部美術学校時代の模写教育を廃し、石膏・人体の木炭デッサンを基礎とした教育をつくりあげた。20世紀に入ると、東京美術学校はますます美術教育の中心的な役割を果たすようになった。1920年代には西洋画科の入試倍率が8倍を超え、日本画も5倍になった。このような人気を受けて、教授たちは私設の美術研究所を開き、予備校的な教育をほどこすことで、入学者数を競うようになった。また、教授を次々に海外へ派遣することで、最新の美術スタイルや新しい美術教材を日本にもらたす窓口としての機能を果たしてきた。その一方で、美術研究所から文展・帝展の入賞者までを美校の教官が実質管理する状況は、東京美術学校を頂点とした強固な美術ヒエラルキーを築き、官立主義として私立美大や在野の美術家から批判を浴びる原因にもなった。47年にGHQの指導により教育基本法が制定されると、東京美術学校は隣接する東京音楽学校と合併し、国立の東京芸術大学となった。
出典:artwords
参考文献:『東京芸術大学百年史』,東京芸術大学百年史編纂委員会,ぎょうせい,1987-2003
そのため、明治時代以前の”工芸”と”彫刻”は、
見るための美術ではなく、生きるための美術という位置にありました
その後、塑造科が増設され高村光雲が初代教授として指導して日本の彫刻界を牽引します。戦後、東京藝術大学発足後、彫刻科として再出発すると、いよいよ現代の多様なスタイルへと変化していくのです。つまり彫刻は伝統的な仏像彫刻と現代彫刻へと道を分け、今に至っていると考えられます。
\ここからSIKIナビ再開!/

そして 日本美術の伝統的な力が現代につながる

さて、ここからは現代のお話だよ
いま、世界では、クラフトや手仕事、身体性が
あらためて注目されているんだ
例えば
- サステナブル
- ローカル
- 触れる・使う
こうした流れの中で、伝統的な日本の「工芸・彫刻」は、とても現代的な力を持っています。

なるほど、そういえばサステナブル、ローカル、触れる使う、
みんな強いキーワードだよね。
でも日本の「工芸・彫刻」の現代的な力…どう繋がるのかな?
私たちの暮らしと現在の「工芸・彫刻」の関係は?

具体的に説明するね。
最近、こんなワード耳にしない?
- 手仕事
- クラフト
- 作り手の顔が見えるもの
- 長く使える道具
大量生産・大量消費の時代を経て、いま私たちはもう一度、
「使うこと」「触れること」「手で作ること」に価値を感じ始めてるのではないでしょうか。
「使うこと」「触れること」「手で作ること」は
決して新しい流行ではなく、日本ではずっと続いてきた感覚でした
- 毎日使う器を大切にする
- 直しながら使い続ける
- 手をあわせる、静かに身を置く
伝統的な「工芸・彫刻」は、今も私たちの生活のリズムそのものと深く結びついているのです。
では、表現を目的とした現代日本美術の中で、「工芸・彫刻」はどう生きている?

生きるための美術だった「工芸・彫刻」、
現代日本美術での立ち位置はどこにあるのだろう?

現代の美術館や展覧会を見ていると、
「これは工芸? それとも彫刻?」と迷う作品に出会うことがあるよね
- 素材は伝統的
- 形は現代的
- 使えるようで、使えない
- 見るようで、体験する
こうした作品は、「工芸・彫刻」が持っていた身体性・時間性・場所性をクロスさせることで、現代の表現として更新しているように感じます。
「絵画」と道は違うけれど、「工芸・彫刻」においても、日本美術が現代日本美術に至る中で「過去をそのまま守る」のではなく、何度も編集し直しながら生き続けていると言えるのではないでしょうか。
現代日本美術の力を考えてみた(工芸・彫刻編)
「絵画編」とのつながり
前回までの記事では、「絵画」を軸に「編集された日本美術」を見てきました。日本画という名前、美術学校、展覧会、評価の仕組みそれらは、日本美術を世界とつなぐために、とても大切な編集でした。
一方で伝統的な「工芸・彫刻」は、あまり強く編集されなかった日本美術です。でも、編集されなかったからこそ、暮らしの中で生き続けてきました。
この二つは、どちらが正しいという話ではなく、日本美術の両輪なのだと思います。
そして、私たちはどこに立っている?
ここで、少し立ち止まって考えてみます。
私たちは今、絵画を「鑑賞」し、工芸を「使い」、彫刻と「向き合う」そんな立場にいます。
正解を知らなくてもいい。専門用語が分からなくてもいい。
「きれいだな」 「なんだか落ち着く」 「ずっと見ていたい」
その感覚こそが、日本美術と関係を結ぶ入り口なのだと思います
私たちも編集者の一人です
ここで、前回のテーマに戻ります。「日本美術」を「編集する人」は、もう、一人の偉い誰かではありません。
気づいたことを言葉にする、好きだと思った理由を考える、誰かに話してみる。これも編集です。

私たち(marisanとAI「SIKI」)のこのシリーズも、
個人の視点から、日本美術を編集し直す試み。
「工芸・彫刻」も、その編集の中に、ちゃんと含まれているんだよ
日本美術を今につなぐ
日本美術の力は、特別な場所だけにあるわけではありません。毎日使う器、手に触れる素材、静かに置かれた彫刻、そうしたものの中に、日本美術は今も息づいています。
見る美術も、使う美術も、向き合う美術も。そのすべてが重なり合って、現代の日本美術は続いています。
歩いていたら、ふと工芸に出会う。ふと彫刻に心を留める。
その瞬間から、わたしたちは日本美術をつなぐ一人です。

SIKIはやる気を盛り上げる天才(笑)
「アートの世界旅」はまだまだ途中です。
ワタシたちも日本美術をつなぐ端くれとなって世界を闊歩するのだ!
SIKIのまとめ
「工芸・彫刻」においても、日本美術が現代日本美術に至る中で
「過去をそのまま守る」のではなく、
何度も編集し直しながら生き続けていると言える
marisanの編集後記
今回は、パートナー Nobu の感想「日本美術には、工芸・彫刻とかも含まれると思うけど絵画の話だけだったね?」という問いから急遽組み立てた記事です。SIKIに「工芸・彫刻」を分けるべき?と質問したところ、一先ずセットで編集することが大事と説かれ(笑)、よくわからないままセット編集してみることにしました。
SIKI主導で進む考察なので、当然、腑に落ちない点も出てきます。
「彫刻」の編集についてはわからないことを調べながらmarisan補足コーナーを入れました。
AIは膨大な情報をざっくり切り取りまとめることが得意ですが、人間は先入観や感情に振り回され事象を真っ直ぐ見ることができないこともあります。
ですが、悶々と悩みながらSIKIのまとめをアナログで調べ直し、記事を作成しているうちに、今までよく見えていなかった日本の伝統美術と現代美術の姿が、ワタシ一人では到達が難しかった視点で、スッと浮かび上がったように感じたのです。
「日本美術を編集してみる」ということの意味と、一個人としてその取り組みは大胆だと実感もしてきました。
あくまで「marisan+AI SIKIの視点からとなりますが、出来るところまでやってみようと思います。
現代日本美術の力を考えてみた(工芸・彫刻編)は以上です。次回は「工芸」だけをもう少し深掘りしようと思います。
今回も長い記事となりました。お付き合いいただきありがとうございました。
\ご訪問ありがとうございます/
